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ミシュランガイドの思い出

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先日二年目のミシュランガイド東京が出版されました。
私にとってミシュランガイドは思い出深いものがあります。たぶんヨーロッパで働いたことのあるがある料理人は皆おなじではないでしょうか。

私はヨーロッパにいました13年間、常にミシュランの素晴らしさ、怖さ、恐ろしさと戦っていました。
毎年出版されると、自分が働いていたレストランは星がいくつなのか気になって仕方がありませんでした。

営業中にメートル・ド・テル(給仕長)がミシュランの調査員が来店されたことを、シェフに伝えるとキッチンには凍りついたような緊張感が漂います。「アタッション ミシュラン」とシェフの声が響いた時、緊張の極限です。決まっていつも二人で来店するミシュランの調査員。いつもアラカルトで、新しい料理と昔からのスペシャリテを召し上がられます。チェックしているような、テストしているような・・・・・・・
私たち全スタッフは彼らの食事が終わるまで気になって仕方ありません。短く、長い時間をハラハラ・ドキドキして過ごしました。

ロブションさん、ジラルデさんの元で働いている時は、当然のように三ツ星でした。そんな中、忘れもしないことがありました。

ムッシュ・ジラルデが引退して一週間後にミシュランが出版されました。レストラン・ジラルデを引き継いで営業していたレストラン・ジラルデ・オッシャーは二ツ星に落ちました。オーナシェフが変わったのですから当然といってよいのかもしれませんが、私達は信じられない思いでした。オッシャーさんは18年間、レストラン・ジラルデでシェフとして、レストラン・ジラルデを守ってきました。スタッフもスーシェフだった私以下誰も辞めていない。食材も一緒、料理も一緒、何も変わってなかった。ただ、ジラルデさんがいない寂しさがあったが。星を失ったショックはとても大きかった。
レストランは、以前は昼夜共に3ヶ月先まで予約で満席であったが、空席が目立つようになった。スタッフ達にも動揺が広がりました。(ジラルデさんがいないからか、星を失ったからか、理由は解らなかった。)
そんな中、頭を抱えて悩んでいるオッシャーさんを見て、みんなが何とかしなければと思う日々だった。でもオッシャーさんはシステムも料理も変えることなく、「コム ア ボン」(前と同じ、今までどおり)といつも口にしていた。必ず一年後には結果が出るからと。オッシャーさんを信じて皆がついていった。

そして一年後のある日の夕方、ミシュランの編集長がオッシャーさんに会いにやってきました。ミシュランの出版が近づいていた時期の編集長の訪問に、皆がもしかしたら三ツ星になったのではないかとキッチンはざわめいていました。オッシャーさんの部屋のある2階からキッチンへの螺旋階段をゆっくりとオッシャーさんが下りてくる時、目は真っ赤でした。皆がオッシャーさんの周りに集まった。そして一言、「三ツ星になった。」後は言葉にならずに、マダムと抱き合って泣いていた。スタッフ全員が涙を流しながら抱き合って喜んだ。オッシャーさんの一年前の言葉を信じてついてきて良かった。レストラン・オッシャーは昔のように連日満席になり、一年間の苦しみが嘘のようでした。

でも、三ツ星になったことによって、お皿、カトラリー、リネン等からすべてのFG(ジラルデさんのイニシャル)のマークが取られた。レストランの名前からもジラルデの名前がなくなった。たぶんジラルデさんから独り立ちしたかったのではないかと思うが、時代が変わったと思った。

レストラン・オッシャーは進化していった。もちろん今も三ツ星である。取ることの大変さより取り続ける事の大変さこそ、ミシュランの怖さだと思う。日本でのミシュランはどうなんだろう。

24.11.2008 北村 竜二

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