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赤い一冊との出会い

16歳の時初めてフランスに食べ歩き旅行に行った時に買った赤い1冊の本。何が書いてあるかも知らずに手にした1冊。そして1986年にフランスに修行に出て、赤い1冊と再会した。
当時パリの三ツ星はジャマン,トゥールダルジャン,タイユヴァン,アラン・サンドランス等、地方ではボキューズ,トロワグロ,アランシャペル,ジョルジュ・ブラン等、その他限られた三ツ星レストランであった。地方では60席から100席ほどあるレストランばかりで、1軒家のグランメゾンが多かった。シェフはみんな決まってMOF(人間国宝)の称号を持っていた。そして毎年のように帰国するまでミシュランを買うとは思ってもいなかった。
私には星のことがとても気になったのと同じに、その年のスペシャリテをノートに残して勉強した思い出がある。
三ツ星というのは雲の上の存在のように感じられた。ミシュランの三ツ星は料理が最高でなければならないのと同時にサービスも一流でなければならない。店の造りもゴージャスでなければならない。パトロンもしくはシェフ,メートル・ド・テルがカリスマでなければならないと思っていた。
幸運にも私は、シャルル・バリエさん,ロブションさん,タイユヴァン,ストゥッキーさん,ジラルデさん,オッシャーさんと常に、二ツ星,三ツ星のレストランで働くかけがえのない経験を積むことができた。
最初のシャルル・バリエ(フランス トゥール 三ツ星)さんが70歳で現役復帰した時、又三ツ星を取るのだと意気込み、執念さえも感じられた。星を取ることによってお客様、特に観光客が増えて、お店も潤うことができるからだとよく口にしていた。
しかし、ストゥッキー(スイス バーゼル 二ツ星)さんなどは20年以上も二ツ星でありながら三ツ星はいらないとよく言っていた。なぜなら三ツ星を取ったならば、お店に設備投資,人員投資をしなければならないので、逆に経営が苦しくなると言っていた。でも、三ツ星のプレッシャーはオーナー又はシェフしかわからない喜びもでもあり、苦しみでもあるのだろうと思った。
今年もニュースでブルターニュのローランジェさんが三ツ星を返上して、プレッシャーから解放されたいと引退された。以前、ショッキングなニュースで、ベルナール・ロワゾー(フランス 三ツ星)さんが自殺された。それはミシュランから星を落とされるという噂に、苦しまれたからだと思う。私も食事をさせて頂いた事もあるし、何人かの友人が働いていたのでよく知っていたが、ミシュランの星を落とした事で、命を絶たなければならないとは。
赤い一冊の本の真髄は、歴史なのか、文化なのか、何なのだろう。日本ではどうだろうか。
日本のミシュラン二年目。一年目のブームが去って、去年のような騒ぎは聞かなくなった。
日本でも星を取り続けることは大変だろうと思うが、何かが違うと思う。歴史が浅いせいだろうか。

北村 竜二